【注目記事】丸パクリ歓迎・小論文 理想の医師像

”医学部留年”が僕にくれたもの

自己紹介

千葉県某私立高校卒業。現役で都内某私立医学部入学。学生時代は部活とバイトの生活。比較的真面目な生活でサボることが得意でなく授業もほぼフル出席していた。両親共に医師でないため、お小遣いもなく生活費捻出のため日々バイトしており、計画的再試も策略し順調に学年中位で進級していた。しかし4年生のとある科目だけは計画外の出来事が起き留年に至ってしまった。私は上昇傾向の気が強く、医学の勉強だけでなく企業インターンに計半年行くほどであったが、今思えばそれが今回の記事を書くに至った「留年」に導いたかもしれない。

 

はじめに

タイトルにある通り「留年」が本記事のテーマであるが、「医学部ではよくある光景だ何をいまさら!」という方もいることでしょう。私の大学でもストレート進級率は7割強と決して高くなく留年も珍しいイベントではない。
ではなぜ今になってわざわざ「留年」がテーマなのか。
それは、2年間適応障害を抱え様々な精神症状をきたし、自分が自分でなくなる体験し何を得たのかを、同じ苦しみを抱える人に生きる糧にしてほしいからである。

 

本文

メランコリー親和型

どうやら僕はメランコリー親和型(几帳面かつ完璧主義で、責任感が強く要求水準が高い)の性格らしく、機械的かつ野心家なため折れやすい性格だったと今なら冷静に分析できる。
さて、どの大学も各学年に進級の肝となる科目があるだろう。どんなに学年順位が高くても、CBTやOSCEを合格していても、1科目でも落としたら留年は起きうる。そして私の大学では学年制なため留年すると全科目、さらにCBTやOSCEもやり直しなのだ。
僕はその進級の肝となる科目の単科目留年だった。留年したくてしたわけじゃない、ちゃんと勉強したつもりだった。でも待っていたのは”否”だった。無駄を嫌い、最短距離で自分のゴールへと突き進み、成し遂げた医学部現役合格。しかし僕はここで初めて人生の大きな挫折であり絶望を経験したのだ。

 

留年発表

発表直後は混乱で頭一杯であったが、ちょうどインターン中であったため雇用契約を更新し充実した春休みを過ごせていた。「また頑張ればいい」と気持ちを紛らわせる環境だったため楽観視できていた。
しかしいざ4月になると全く違った。知らない顔ぶれ、留年生らしく後方の席、関わりもしなかった多留生との交流。自分はここまで落ちこぼれたのかと強く卑下した。

 

味方は誰もいなかった

「失敗してはいけない」性格だったためか現状に対し毎朝起きるのは億劫、駅のホームでは飛び込みを考え、お酒なしでは寝れない夜、将来が怖くなりテタニーを伴う突然の過呼吸、失声、無意識に流れる涙、思考も記憶力も半分以下で自分が自分でなく死にたい感情で一杯の日々を過ごしていた。3ヶ月ほど経過した頃同期に学内のカウンセリングルームを勧められ、そこで心療内科クリニックを紹介され受診した。適応障害と診断された。当時精神科医やカウンセラーに抱いた感想は”役立たず”であった。ただ話を聞くだけで何も解決策を示さない。僕は通院もせず、学内のカウンセリングルームにも行かなくなった。まだ追い打ちはあった。高校同期を名乗る人(のちに特定したが知らない人だった)に晒上げられた。

 

また私が留年した科目は大きな力が働いたのか昨年度は本試で90人近く落ちたが、留年した年は本試でほぼ落ちない簡単な試験と化したのだ。教授の反省だろうか?いろんな噂は立った。人生は時の運もあるのはわかっているが勉強し直した僕の一年はなんだったのか。

 

その他進級しても

5年生のポリクリも調子が上がらず休む事もあり、長い暗いトンネルを彷徨い一生こんな人生を歩むのかと不安と焦燥感を通り越して諦めすら覚えた。
しかし時間が経てば悪い面だけない事に気づき多くの事を学んだように思える。

留年した当初は怖かった、「狭い業界だ。すぐに広まる、高校同期にも中学同期にも」、会うのが怖くなっていた。そう思う時点でくだらないプライドを持っていたのだ。毎日ただ生きるのが精一杯であったが、プライドのせいか偏見のせいか誰にも相談なんて出来なかった。自分の限界を含め、人生を謙虚に生きるための調整だったのかもしれない。

 

心の病

心の病は決して弱い人だけではなく誰でもなる。完璧である必要はない、逃げてもいいんだと。「うつ病の人を旅行に誘ってはダメ」まさにそうであった。正の感情が何一つないのだから気晴らしすらできないのだ。
今ならなぜ9月1日に学生の自殺が多いかわかる。
留年から2年と少し経った4月1日、その日は元同期が医者デビューを果たす日であった。それまでは調子が良かったのになぜかその日だけは動けなかった、学校を休んだ。でも翌日からは不思議と今までの不安や焦燥感が嘘かのように無くなり全てが明るく見え前を向いて生きれるようになった。今振り返っても夢でも見ていたかのような感覚である。

 

終わりに

真面目過ぎる人はぜひ逃げることを、休むことを、サボることを覚えてほしい。失敗しても良い、完璧じゃなくても良い。
どんなに辛い日々でも生きることに価値を見いだせずにいても、自殺せず淡々と光が見えるまでやり過ごしてください。それしか解決策はないようです。
留年して後輩に言われた言葉を今でも覚えている「先輩 ようやく人間になりましたね」。

 

この記事を書いたのは

むぎ

医師、114回医師国家試験合格。Twitter フォロワー数約1,500人(2020年4月1日現在)のラッコさん。高校から現役で医学部に進学するも、学生時代は留年を経験。

卒業後は市中病院(2次救急)に就職。医療経営にも興味があり医療経営コンサル会社で学生インターンを経験。行政の方と地域医療・介護や病院の経営データから改善点を考えたりと、臨床の勉強以外も見識が深い研修医。そんなむぎが現場に出てまだ数日で感じたことや学生時代の留年の乗り越え方を伝える。

むぎの記事はこちら

@mugitya_oisiiyo

 

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